素のGNOMEを知る 〜「集中」のためのデスクトップ環境〜
1. はじめに
GNU/Linux では GNOME が人気のデスクトップ環境だが、よく使われているのは Ubuntu に搭載されている GNOME だと思う。 しかし、Ubuntu の GNOME はデフォルトでドックを提供していたりデスクトップに物を置くための拡張を入れていて、 GNOME を Windows や macOS の UI に近づけてから配布をしている。
そのため、素の状態の GNOME を使ったことのある人は意外と少ないのではないかと考えたため、 素の GNOME がどのようなものなのかについて語る。
2. 手元の GNOME の実行環境
- OS
- Guix System
- GNOME のバージョン
- 44.10
- ウィンドウシステム
- Wayland
3. GNOME にないもの
一般的なデスクトップには次の機能があるが、GNOME にはない。
- 常時表示されるウィンドウのリスト
- Windows ではタスクバー、macOS ではドックとして存在する機能。いまどのソフトウェアが起動しているかを確認することができる
- 常時表示されるアプリケーションランチャー
- 上述したタスクバーやドックが兼ている機能で、お気に入りのアプリケーションをいつでも起動できる。起動できるソフトウェアは常に画面上に表示されている。
- デスクトップにファイルを置く機能
- GNOME ではデスクトップはファイルを置く場所ではなくなっている。ただの背景?
- システムトレイ機能
- GNOME ではシステムトレイアイコンは廃止された。ないと普通に不便。
- 最小化/最大化ボタン
- 有効にすることは可能だがデフォルトで無効となっている。GNOME が提供している「設定」からは有効にできない。
以上の機能が GNOME にない。これらは Windows や macOS などの既存の UI に慣れ親しんだユーザーにとっては困惑する部分だと思う。 実際、Ubuntu ではこれらの機能のうち重要と思われるドックとデスクトップにファイルを置く拡張が最初から入っている。 このため、Ubuntu で GNOME を使う場合には割と慣れ親しんだ UI に感じることだろう。
対して素の GNOME を使った場合の感想はそうではない。 いままでに親しんできたタスクバーやドックはない。 GNU/Linux 上の GNOME 以外のデスクトップ環境にはだいたいタスクバーに相当するものがある(twm やタイル型を除く)。 つまり普通はタスクバーやドックはあるものでありない方が異端である。
意外に思うかもしれないが、GNOME は既存の UI から脱却して独自路線に突き進む、尖ったデスクトップ環境なのである。
4. 素の GNOME に慣れるまでの流れ
私は GNOME のこういった方針がおかしいと思って GNOME を10年近く避けてきた。 しかし、最終的には GNOME に慣れて、GNOME のデザインは素晴しいとすら感じている。 それまでの経緯について紹介する。
4.1. 前提
自分はいままで Xfce4, LXDE, KDE, MATE, Cinnamon などの、通常の常識的な UI を提供するデスクトップを使ってきている。 タイル型マネージャとしては StumpWM や EXWM などを使っていた時期もそこそこの期間あるが、 最終的には普通のデスクトップの方が自分に馴染むと感じている。
4.2. きっかけ
最近になって GNU Guix System 環境でよくサポートされた Wayland 環境を使うのに GNOME を選ぶと便利という理由で再度使ってみようと考えた。
4.3. Dash to Panel の導入と懸念
GNOME に移行し調査したところ、 Dash to Panel という拡張を入れてタスクバーを導入することで、 快適に使えると分かり一週間程度は Dash to Panel ありきで使っていたが、 さらに一週間程度経過して長期的に GNOME 本体とは異なるコンポーネントに深く依存することにリスクを感じるようになった。 Dash to Panel があればそればかり使うので、もはや GNOME ではなくて Dash to Panel を使っているような気さえしてくる。
4.4. GNOME のデザイナーを信じてみる
そこで GNOME について再考し、 GNOME の設計者がタスクバーやドックが不要という姿勢を頑なに崩さないのには何か理由があるのではないかと思うようになった。 そもそも私はコンピュータの一ユーザーかつ開発者にすぎず、UI/UXの専門家ではない。 おそらくデザインについてよく学んだ人が GNOME を作っているのだろう。 それは最初はユーザーを無視した横暴だと感じていたが、専門家がそこまでそう主張するのであれば GNOME の設計は実は筋が通っているのかもしれない。
4.5. GNOME の挫折
一度 Dash to Panel を外してみたがすぐに戻した。
タスクバーを押せばすぐに起動できるところを無駄にアクティビティを開くのは無駄だと思った。 いま開いている他のウィンドウを開くのにわざわざアクティブティを開くのは無駄だと思った。 すぐに切り替えたり起動したいのに、アクティビティを開くのにモーションが入るのがムカつく。 こういったストレスに耐えられなかったのである。
やはり慣れていない UI に移行するのは簡単ではないのである。
4.6. GNOME の思想: 「集中」を理解する
私は GNOME について学び、GNOME のコンセプトは集中にあるということを理解した。 簡単に使えることやデザインに一貫性があることなども GNOME にとって重要なコンセプトなのかもしれないが、 GNOME の選択を理解するのに最も大きな手掛りになるのは、「いましていることに集中しろ」という考え方である。
つまり、GNOME はユーザーの気が散ることを最大限避けてデスクトップを設計しているのである。 いまやっていることに集中し、他のアプリに切り替えるときに初めて「アクティビティ」を押すのだ。 集中を重視しているということを理解すると、GNOME のほとんどの決定について納得ができる。
私はコンピュータをそのようには使っていないことに気づいた。 画面には様々な情報が表示されているし、 いまの作業とは関係のないウィンドウをいくつも開いていることはよくあり、 それらを頻繁に切り替えて作業をしていた。
そう GNOME に慣れるというのは、単にその UI に慣れるという話ではなかったのだ。 コンピュータとの向き合い方を変えて初めて GNOME の価値に気づくのである。
「一つのことに集中する」この意図を理解し、私は再び Dash to Panel を外した。 GNOME の考え方に慣れていないだけで、しばらくの間使ってみて順応すれば便利なのではないかと考えたのだ。
それはまさに修行であった。
4.7. GNOME に慣れる
GNOME のコンセプトが「集中」であることを理解してから、おそらく一週間程度で GNOME に順応した。 もはやアクティビティを開くことに苦を感じず、タスクバーやドックが邪魔だと思うようになった。 アクティビティを開くのにかかるモーションに対してもイライラしなくなった。 むしろあのモーションが操作を心地よくしているような気さえするようになった。
GNOME に慣れたことで一つのことに集中しやすくなったような気がする。
5. GNOME の擁護
先に紹介した GNOME にない機能についてそれぞれ擁護してみようと思う。 なお、それぞれの決定の背景までは追えておらず、以下は私の見解であり GNOME 公式の主張とは無関係のため要注意。
GNOME が集中を重視しているという点については、GNOME のホームページ の「Intuitive and Efficient」のパラグラフから読み取れる。 他の「Simple and Easy to Use」や「Finely Crafted」なども GNOME にとって重要な命題なのだとは思うが、 GNOME が何故こうなっているのかという理解に繋がるのは「集中」というコンセプトだと思うため、この点にフォーカスする。
いずれも、「集中」というコンセプトを理解すれば納得のいくものだと分かる。
5.1. 常時表示されるウィンドウのリスト
作業画面に別のウィンドウの情報が入っていると、いまの作業の集中を妨げるきっかけになるためない。
5.2. 常時表示されるアプリケーションランチャー
作業画面にアプリケーションランチャーがあると、 いまの作業を中断して別のことをしたくなるきっかけになるためない。
5.3. デスクトップにファイルを置く機能
ウィンドウを小さくしてデスクトップが画面に写ったとき、 背景に置かれているファイルが目に入ることで気が散るのでなくてよい。
5.4. システムトレイ機能
自動的に表示されるシステムトレイアイコンは集中を妨げるきっかけとなる。
5.5. 最小化ボタン
これは、ウィンドウに対する考え方の問題だと思われる。
GNOME にはタスクバーやドックがないため最小化する先がない。 最小化したものがどこにいったのか謎である。
最大化ボタンがないのはよく分からない。 私はスクリーンエッジ機能かキーボードショートカットのいずれかで最大化しているが、 これはたしかにちょっと分かりにくいかもしれない。
6. おわりに
GNOME はユーザーが「集中する」というコンセプトに基づいており、 この考え方を理解すると多くのデザイン上の選択について納得できる。
拡張を導入することで Windows や macOS に近づけることも可能だが、 素の GNOME を使うことでその真価を確かめてみてほしい。
単なるデザインの違いではなく、コンピュータとの向き合い方を見直すよい機会になるだろう。
素の GNOME の魅力を是非体験して欲しい。