自由ソフトウェアの話をするのが難しい理由

目次

投稿日: 2022-11-29 火

1. はじめに

自由ソフトウェアの話をしても伝わらないし理解もされないことがほとんどである。 その原因について考察する。

2. 自由ソフトウェアについて知りうる人の問題

自由ソフトウェアについて知りうる人の多くは、 「オープンソースソフトウェア」(OSS)を先に知ったソフトウェア開発者であることが多い。 Open Source Initiative(OSI)の定義する OSS の定義自体は自由ソフトウェアとほとんど同じだが、 OSS の定義を理解したとしても自由ソフトウェア運動の意図について知る機会は得られない。

彼らのほとんどにとって OSS とは、 世界中の開発者と協調してソフトウェアを開発することによって、 個々の開発者の開発を合理化して開発工数を減らすことを目的としているのであり、 ソフトウェアを利用するユーザーの自由については関係がない。 この文脈で OSS を支持している人に自由ソフトウェアについて話したところで、 前提が根本から異なるため会話を成立させるのも困難である。

そして、彼らの中には自由ソフトウェアが普及すると困るものも多い。 現にユーザーによるコンピューティングを制限することによって利益を得ている場合は、 自由ソフトウェア運動に賛成しにくい状況にあるだろう。

以上により、自由ソフトウェアについて知ることのできる多くのソフトウェア開発者にとっては、 残念ながら自由ソフトウェアについて理解・支持できる状態にない。

3. 自由ソフトウェアについて知りえない人の問題

では自由ソフトウェアについて知りえない人はどうだろう。 当然だが、まず知ることができないのが問題である。 自由ソフトウェア活動をしている人の声が一般のソフトウェアのユーザーにまで届くことは珍しい。

そして聞いたとしても問題を理解するのが難しい。 何故なら現代の自由ソフトウェアを知らない人々は、 既に不自由なソフトウェアを利用し続けていて、 ソフトウェア開発者がソフトウェアを通じてユーザーの行動を制限することは当然のこととなっている。 ソフトウェアについて自由や権利に関する問題があると言われてもピンとこない。 何故ならプログラムを書くことでコンピュータを制御できるという経験が与えられてこなかったからだ。

ソフトウェアの利用規約を読んでいる利用者などほとんどいないが、 例え利用規約を読んだとしても彼らは正当な権利の主張として受け入れるのだろう。 手元のコンピュータ上で動作するソフトウェアを複製・修正・改変する権利を剥奪されていても、 プログラミングのスキルがなければ自身にとって関係のないことだとして受け入れるだろう。

4. 不自由なソフトウェアの現実的なリスクの例: データのエクスポート

実際には特定の不自由なソフトウェアを使用することで自身のデータが人質に取られてしまうというような現実的なリスクがあったとしても、事前に気づくことは簡単ではない。 よい例として iOS アプリとして公開されている家計簿アプリがある。App Store にはデータのエクスポート機能がないもしくは有料版でのみエクスポート可能なアプリが目立つ。

これらのソフトウェアのデータをエクスポートできないという危険性に気づかずに使い始めた場合どうなるだろうか。 有料版にアップグレードすることでエクスポートを機能を有効にできる場合、 価値あるデータのエクスポートのためにアップグレードせざるを得ないだろう。 アプリの使用開始時にエクポート機能の価値に気づけなかったユーザーは、心地良く対価を支払うことができるだろうか。

エクスポート機能がサポートされてない場合は最悪である。 価値あるデータを持ったアプリを使い続けるしかないし最悪アプリのサポートが終了したら蓄積したデータは死んでしまう。 不自由なソフトウェアではこうなった場合に合法的にデータを救出する術はなくなってしまう(シンプルな形式で保存されていれば復旧することは可能である。ただしどのような形式でデータを保存しているかは開発者次第であり、 あえてエクスポート機能を搭載しないようなアプリからデータを容易に取り出せると期待するのは避けた方がよいだろう)。

また、クラウドのアプリケーションは本当に危険である。エクスポート機能がなければデータを完全に人質に取られて自身のデータを回復する機会を一切与えられないかもしれない。

一方で自由ソフトウェアであれば誰でもソースコードを改変してビルドし直して、データをディスプレイではなくてファイルに出力するようにすればユーザーのデータを救出することができる。 これは明らかでないバイナリデータを解析してデータを復旧させる場合と比べてとても簡単である。

このような不自由なソフトウェアの被害にあったとしても、問題の根本がソフトウェア開発者によるユーザーの支配にあるとは気づけないだろう。 自由ソフトウェアという概念が一般に普及していない現在においては、残念ながら不条理について嘆くことしかできない。

5. 自由ソフトウェアの近年の情勢

由々しき問題として、近年は自由ソフトウェアからさらに遠ざかっている。 かつては、コンピュータの一般的なユーザーでもソフトウェアを購入する機会があったのに対して、 現在は無料で必要なソフトウェアが提供されることが多くなりソフトウェアを購入することは稀になった(ゲームを除く)。 ユーザーは対価を支払う客ではなくて他の方法で対価を得るための商品へと変わったのだ。 自由ソフトウェアについて知っても「無料で使わせてもらっているのだからソフトウェアによって行動を制限されても仕方がない」と錯覚し、 計算機をコントロールする権利を自ら手放してソフトウェア開発者によるソフトウェアを通じた支配を受け続けるかもしれない。

6. 問題はいつ解消するのか

問題の根本原因はコンピュータに対する教育が不足しているところにある。 多くの人にとってソフトウェアとは「プログラミング」という魔法を施すことで作られた謎のものでしかない。 プログラミングは特定の選ばれた人だけに可能な魔法であるというような認識を覆す必要があるだろう。

コンピュータに関わる教育の水準が引き上がれば、 自然にソフトウェア開発者によるユーザーの権利の制限が意味することを理解できるようになり、 自由ソフトウェア運動が一般に広まるかもしれない。

このような見方に立つと、不自由なソフトウェアによる支配は知識の格差によって生じていると考えることができる。

7. どうすればいいのか

長期的な目線に立つのであれば、コンピュータの教育の水準が上がるように働きかけるだけでよいだろう。

しかし、そうなっていない今、問題を解決するにはどうすればいいのだろうか。 個人的な見解としては一般的なソフトウェアのユーザーに対して働きかけるしかないと思う。 利害が対立する不自由なソフトウェアで利益を得ているソフトウェア開発者に働きかけるよりも、 害に気づくことが困難な状態にいるユーザーに説明をする方が希望がある。 ただし簡単ではない。

8. おわりに

自由ソフトウェアを知る機会に恵まれたソフトウェア開発者は利害の対立から自由ソフトウェアの思想を受け入れるのが難しい。

よって、自由ソフトウェアを知る機会は少ないが実際に支配を受けている一般的な人に対してこそ、自由ソフトウェアについて語る必要があるだろう。 しかし、コンピュータ教育のレベルが低い現代においては簡単なことではなく残念なことに自由ソフトウェアの普及は困難である。

著者: Masaya Tojo

Mastodon: @tojoqk

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